茶道裏千家 今日庵業躰部講師 奈良宗久 Q.昨年ご自宅を新築された。設計のコンセプトは?「それは小間(こま)ですね。千利休が2畳ほどの空間を茶室にした。それ以前は6畳または4畳半が主流でした。さらに前の室町時代までは広い板の間を茶室にしていました。広い空間に置き畳を敷いて、屏風で囲んだりしてお茶を嗜んだ。みなさんのイメージする茶室空間が生まれたのは、その後の桃山時代からですね。日本人の精神性が大きく変わった時代に、千利休が茶室や道具をどんどん変えていきました。楽茶碗や竹の茶杓を置いてみたり、手桶を水指しにしたり、魚籠を花入れに見立てるなどして、茶の湯という非日常の世界に日常のものを採り入れていったわけです。こうして信長や秀吉や千利休の時代を経て、茶の湯は江戸時代になって庶民に広く普及していきます。とりわけ金沢の浸透度はすごかった。武士や商人や一般の人までお茶を愉しみ、お稽古までする。一般的にお茶の盛んな土地では、やはりお殿様をはじめとした上層の人に限るんです。金沢の町家には江戸時代から近代にかけてつくられた茶室が200以上残っています。全国を見わたしてもこんな街は他にありません。客人が来てお茶を出すときも、他の土地では煎茶ですが、金沢ではお抹茶が出てくるでしょ。独特だと思います。さすがは百万石の国なんですね。その影響力や浸透度は他を圧倒しています。」